偏ってる映画日記

主に映画、ごく稀に本についての感想を自由に書いています。

映画『92歳のパリジェンヌ』

2015年制作フランス映画。

 

パスカル・プザドゥー監督、脚本。

 

 原作は、リオネル・ジョスパン元フランス首相の娘で作家のノエル・シャトレが綴っ

た小説。内容は、元首相の母、すなわちノエルのおばあちゃんの終末期についての物語

である。

 

 題名だけで勝手に『クロワッサンで朝食を』のような人生謳歌的なストーリーかと思

って観たのだが、全く違う内容だった。どちらも歳を重ねた女性の物語ではあるし、

様々な経験をしてきた天真爛漫な女性の話ではある。しかし、『クロワッサンで朝食

を』の方はだんだん話が明るくなり、最終的にはとても前向きになれる、生の喜びのストーリーなのに対し、この映画は最初明るく、だんだん重くなり、最後は何とも言えな

い気持ちを残して終わる。

 

 さらっと説明すると、この主人公である女性は、家族にも恵まれ、頭もはっきりして

いるし、一人暮らししているくらい体もまあ問題なく、幸せな老後を謳歌している。し

かし、家族との92歳の誕生日パーティの際に、唐突に、「2ヶ月後に私は逝きます」

といったスピーチを始める。理由は、周囲に迷惑を書ける状態になる前に人生を終えた

い、という思いがあるからだという。もちろん皆反対し、どうにかして死ぬことをやめ

させようとするが、彼女の意志は硬く、次第に娘も母の意志を尊重するべきなのだと心

が動き始める。

 

 この話は、いわゆる尊厳死についての問題がテーマなのだということに終盤で気づい

た。展開があまりに飄々としているというか、若干呑気な空気で進んでいくので、こん

なに重いテーマとは感じ取れなかった。

 

 私は、常々身内の一人との会話でこの尊厳死に関するような話をする。その身内は、

60歳くらいで元気なうちにさっさと死にたいといつも言うので、私は、そんなこと言

うのやめてほしい。そもそも60歳なんてまだまだ元気なのに。死ぬ必要なんてない

よ、と答える。しかし、相手は、もう子供もたくさん産んで、十分人生頑張ってきて、

これ以上悔いはないし、体力も落ちて病気で体悪くなってしんどいと思いながら、周り

に迷惑かけながら生きたくない。と言う。世の中には年老いても元気に遊びまわってい

る人もいるし、そんな悲観的にならなくてもいいのにと思うのだが、こういった考えの

人は私が思っているより多いのだろうか。そう言えば、以前仕事で知り合った70歳く

らいのお婆さんたちも、もうこれだけ生きたら何の未練もないし、子供たちに迷惑かけ

てまで生きたくないからころっと死にたい、この年まで生きれたのだからこれから健康

に気を使ってお酒我慢とかしないよ、好きなもの食べて飲んで死ぬよ。といったことを

言っていた。年齢を重ねると、死を受け入れる心境に自ずとなるものなのか。

 

 また、その話題に関連して、姥捨山伝説の話が出てくる。これは、昔、日本のお殿様

が、年老いて働けなくなった老人を山に遺棄せよ、といったおふれを出したといった話

だ(ただ、これはあくまで伝説であって実際に行われた可能性は低そうだが)。ただ、

姥捨山は老人側が死を望んでいる尊厳死ではなく、死を望んでいない老人を山に遺棄す

るのだから、現代であれば立派な殺人罪や保護責任者遺棄罪だ。身内は、この山を例に

出しては、この高齢化社会の時代で、ただ医療が発達し、従来なら生きられなかった老

人達が生き続けていて社会の負担になるばかりなんだし、現代の姥捨山のようなもの

も、必要なんでは・・・といった論を述べる。身内は一貫して年老いて周りに迷惑かけ

て生きている年寄りにはなりたくないという立場から発想していく。しかし、私にはど

うしても納得いかないし、何かそんな悲しい考え方を取り払える考え方はないのか、と

思っていた。

 

 最近、オスマン・サンコンさんがあるインタビューで語っていた話の中にヒン

トというか少し光が見えた気がした。

 

「故郷のギニアのことわざに、“お年寄りが亡くなることは大きな図書館がひとつ燃えてなくなることだ”というのがあります。つまり生きているお年寄りは図書館と同じ。それほどお年寄りの知恵と経験は大切で、子から孫へと伝えられていくものなんです。」

 

 温かい気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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